パンの歴史について検索してみる4

大正時代。徐々にパンの消費が増えていくが、更に拍車をかけるような大きな出来事が起こる。

第一次世界大戦だ。1914年(大正3年)の第一次世界大戦開始の直後に暴落した米価は、周りの物価が少しずつ上昇していく中で、約3年半の間ほぼ変わらない値段で推移していたが、1918年(大正7年)の中頃から急激に上昇し始めた。一般市民の生活を苦しめ、社会不安が増大する中で、代用食として食パンの需要が急速に拡大。

また第一次世界大戦後、ドイツ式のパン焼きがま・アメリカ式のリッチなパン(バターや砂糖を多く含む)・純粋培養イーストの工業化などがもたらされ、同時に製パン業者の数も急増し、より消費者が手に入れやすくなり、日本人の食文化に浸透していくこととなった。日本のパンの近代化である。

 

そして第二次世界大戦。原料不足などからまたしてもパン受難の時代となってしまう。

しかし、コッペパンは戦中から終戦直後の配給品であり、コメの代用品として存在していたという。当時の人々が昨今のコッペパンブームを見たらひっくり返ってしまうだろう。物資の欠乏に苦しんだ時代のことである。中におしゃれな具を挟むなどあり得ない、ただただ貴重な主食であったことは間違いない。


しかし終戦後、アメリカからの援助物資と言えば聞こえが良いが、実は本土で生産過剰になった小麦粉、を使用したパンは学校給食として脱脂粉乳と共に広く食されるようになった。

 

ここでコッペパンについて考察してみる。

語源由来辞典によれば、コッペはフランス語coupe=切ったを意味し、それが訛ったという説があるそうだ。フランスパン等のリーンなパンには焼成前に切り込みを入れる。中のガスが膨らんだ圧を逃がすための窓口として、そして窯のびを助けるため。確かに、フランスパンの一種、クッペに形は似ている。食感は全く異なるが。

個人的には日本のコッペパンアメリカのホットドック用のパンが、形状も食感も実親のような気がしてならないが、どうだろう。

また、一般的にコッペパンを油で揚げ、砂糖で味付けした菓子パンのことを揚げパンと呼ぶ。揚げパンが給食のメニューとして出されるようになったのは、大田区の公立小学校に勤務する調理師が昭和27年に揚げパンを作り、学校を欠席した子供の家に届けさせたことがきっかけだといわれている。

実に様々なパンがあふれている今日、学校給食で食べたコッペパンに懐かしさを覚える人々もいるだろう。また、「昭和感満載」のコッペパンを新鮮に思う人々もいるだろう。趣向を凝らした焼きたてパンを売るお店が増えても、スーパー等で大量に売られているコッペパンは根強い人気があるそうだ。

私の生活圏内にある、チェーン展開しているコッペパンのお店は昭和の学校給食の空間になっている。「いちごジャム・マーガリン」「揚げパン」などはまさに再現メニューだ。しかしこのお店、蕎麦屋のように「3たて」にこだわっているという。焼きたて、揚げたて、作り立て。なんとも贅沢な響きだ。そしてメニューにも「宇治抹茶クリーム」や生チョコクリーム入りがあるようだ(HPが無いので、近々来店して確認予定)。

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小学校一年生の最初の給食は「黒砂糖パン、マーガリン、牛乳」だった。初めての未だ見ぬ給食を一か月のメニューが配られた日から楽しみにしていた。が、残念なことにその黒砂糖パンの味や形の記憶がない。きっとコッペパンに黒砂糖がまぶしてあったのだろうと想像している。