パンの歴史について検索してみる3

明治時代、文明開化の世相の中で日本人の食生活は大きく変化する。しかし古来より米食文化であったところにどのようにして根付いて行ったのだろうか。

横浜: ビールの製造が盛んであり、食パン作りに大切なホップ種が調達しやすい環境にあったそうだ(ビール会社がホップをこころよく分けてくれた)。18世紀ごろイギリスでカナダ産の強力粉で作ったパン生地を金型に入れて焼いた山形パンが、100年後の日本にやってきたが、最初は万人受けしなかったらしい。当時の横浜には外国人の中のイギリス人比率が高かった。やがてパン屋ができ始める。

 銀座:日本人に馴染みのある、日本酒造りに使う米こうじ、酒種あんぱんを開発し、パンが一般大衆普及していった。

札幌: 開拓使と米国から招へいされた人々の欧米化計画により畜産農業普及の基礎が作られた。早くから牛乳の販売が始まり、札幌農学校などで積極的にパンやバターを利用した洋食が受け入れられた。一説によると、銀座「木村屋總本店」のあんぱんを聞きつけた商人が、試行錯誤を繰り返し、重曹で膨らませた「月寒あんぱん」を作って明治時代に販売していたとのことだ。絵柄のない、月餅に似た姿らしく、その食感も近かったのだろうか?

 本郷:明治時代に中村屋が創業3年でクリームパンを発売。シュークリームから応用したそうだ。

 広島?:メロンパンの起源は諸説あるが、昭和初期に広島で製造されていたという記録がある。ほかには帝国ホテルの料理人発案、メキシコのお菓子、コンチャ、もしくはドイツのお菓子、ストロイゼルクーヘン、にヒントを得て作られた説などがある。

 

ちなみにカレーパンのデビューにも諸説あるが昭和初期に東京都江東区練馬区のベーカリーで売り出され始めたようだ。

 

大正時代にアメリカでイーストのつくり方を学んだ田辺玄平によって、1913年に国産イーストが開発され、それでパンが作られるようになった。ここからさらに日本におけるパンのバラエティーが増え、量産も加速する。

 

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今朝は久しぶりにメロンパンとあんぱんをインスタントドライイーストで作った。2時間ちょっとで焼成まで完了。実に便利だ。