ワッフルメーカーの思い出と購入を考えてから15年後にやっと入手した話 Vitantonio VWH-500

ワッフルメーカーを初めて見たのは今から30年以上前だった。当時アメリカの北東部でお世話になっていたお宅で、夕食がワッフルのみの時があった。

一度に4枚焼けるワッフルメーカーだったのでお父さんが私を含めたティーンエイジャーと自身で計4人分の胃袋を満たすべくせっせと焼くものだから、バターを塗ってメープルシロップを垂らし、バナナ等をのせている間に四角い「お菓子」がどんどん目の前に積み上がっていった。無くなるのも早かったけれど。

 

当時の私は食べ盛り、甘いものが大好き、珍しいものに興味津々ではあった。が、夕食が「三時のおやつ」風ではちょっとがっかりで視覚的にもの足りず(カロリーは十二分だ)、冷蔵庫の残り物をレンチンして食べた記憶がある。

 

お母さんが仕事で夕食時に家を空ける時に子供たちだけでBLTサンドイッチなどを作って食べたり、スパゲッティーにビンのソースをかけて食べることは時々あってそれはそれで楽しかった。

しかしお父さんは高校教師だったので帰宅が遅いことはあまりなく、お母さんのみ不在の夕食は大抵お父さん主導でピザのテイクアウトをしたり、"I will cook supper tonight!"と言われるとPBJ、またはこのワッフルのタワーが出てきた。

PBJとはピーナッツバターとジェリー(果肉ゴロゴロでないジャム)を挟んだだけのサンドイッチで私の中ではこちらも「三時のおやつ」に分類されるべきものだった。日本では母が毎晩、主菜&副菜とご飯&汁物を用意していたからこれが"I will cook... "と宣言されて出てくることに最初は驚いた。

夕食に甘いものだけという食事は3年経っても慣れなかったが、普段は許されないテレビをソファで観ながらの夕食はちょっとしたイベントであったので楽しかった記憶がある。

 

時はだいぶ経ってワッフルを最後に食べてから多分20年近く過ぎた頃、再びアメリカでワッフルメーカーに遭遇した。

アメリカの国立公園を何度か旅行したが泊まる宿のほとんどにシリアル、トースト、ドーナツ等の朝食がついていてたいていワッフルメーカーもおいてあり食べたい人が自分で焼くシステムになっていた。

決して美味しくは無いのだが何となく焼くのが楽しくて何度か食べた。それならば美味しいワッフルを作ってみたいと思い、ワッフルメーカーの購入を考え始めた。

そしてNYから友人の結婚式に呼ばれ、ベルギーへ行った時、到着初日にベルギーワッフルをブリュッセルの街角で食べた。年末の寒い日だったので焼きたてのワッフルはアメリカで食べたそれとはまったく違う、ふかふかの美味しいものだった。

 

それからさらに時は流れ、日本に帰国してからは美味しいワッフルを頂く機会があった。パン教室でも別の生徒さんが天然酵母のワッフル生地を作っていて、ワッフルメーカー購入希望はうっすら頭の片隅に居座り続けた。しかし頻繁に使うことは無さそうだし、場所も取るという理由で買わずにいた。

 

ところが昨年は在宅時間が長かったためクローゼットの整理がはかどり、少しだが収納スペースができた。そこで、それまで数十年気が重かったのに急にポチっとクリスマス後の深夜にポチっと押し、あっけなく購入。

翌日、「Vitantonio ワッフル&ホットサンドベーカー」が我が家にやってきた。

早速使おうと箱から出したらなんと、ワッフル用のプレートが外れない。20分格闘したが、上プレートは簡単に取り外しできるのに下プレートは外すのにかなりコツが必要でまっすぐ引き出しても取り出せない。

取り外せなければ洗えないのでその日はワッフルづくりを諦めた。最初は絶対にベルギーワッフル!と思っていたので生地作りを開梱前に始めようと思っていたが、やらないでよかった。

翌日、サービスセンターに電話をかけて状況を説明したところ、やはり製品に不具合があり交換の対象になるとの事で年明けに代替品を送ってくれるとの事だった。対応してくれた方が丁寧でほっとした。

年末年始にワッフルもホットサンドも作ろうと計画していたので落胆してしまったが、ワッフル生地を色々調べて待つことにした。

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続く